もっと君と会ってたらよかった。
誰かがいなくなった時、そうやって口に出してしまう時がある。けど、君と会ってなかった時間だって大切だったんじゃないのかなって思う。色んな大切があるけど、身体も心も一つだ。注げる時間に限りもある。
もしも過去を変えれるとして、
もっと君と会って笑えたとして。また他の大切な人がいなくなったら「もっと君と会ってたらよかった」なんて言うんじゃないかな?
そんなのズルいよなー。
昨日は弟が仲良くしてるマジシャンのショーに連れてってくれた。そのマジシャンがこう言ってた。
「今日この瞬間にたどり着くまで色んな選択があって、何一つ違ってもこの瞬間に辿り着けなかった。それって奇跡じゃないですか?」
実はこのしゃべくり僕も昔ライブで言ってたことがある。でも昨日、客観的に聞いて見て冒頭で話したことに近いものを感じた。
この瞬間に辿り着いたってことは、他の場所に辿り着けなかったってことでもあるなって。そして、どの場所に辿り着いても"奇跡"になるよなって。全てが奇跡になる。
それってすなわち奇跡じゃなくなるなって。平凡だなって。
みんな持ってるもの、毎日起こることは約分するべきだなって思う。
100歩譲って、すべては奇跡にしたとして。本当に稀な出来事に出くわした時、それになんて名付ければいい?
昨日はそんな過去の自分と見つめあえたし(マジシャンにイチャモンつけたいわけではないよ、ごめんね。)、最後はサプライズで弟から手紙をもらった。
少年院という塀の向こうからではなく、隣にいる弟から直接手渡された。嬉しいね。
兄弟で一緒にいると10代の頃にタイムスリップする。手紙はそっと母の仏壇の前に置いて、今日は家を出ました。行ってきます。