僕がいなくなっても対して変わらない。
休日の満員電車に揺られながら、ゲーム機を叩く子供を眺めながら、スマホを触る親子を眺めながら、音楽を聴くおじさんを眺めながら。僕がいなくなっても対して変わらない。
変わらずこういう世界があってくれたらいいな。そんな世界に、小さな世界に、小さな世界の一部に滲む音楽が作れたら。曲を作れたら。
心の元気がないのか、ただの怠け者なのかわからなくなってきました。自分を怠け者にしてしまうと余計に元気がなくなるので、心の元気がないんだと決めつけましょう。
今朝は三田市民病院に。
手術後の抜糸というやつをしにいきました。
事前に独自でGoogle先生の情報によると…
「抜糸(ばっし)をするときに麻酔をすることはありません。 なぜなら、手術は麻酔をしないと当然痛みを伴いますが、抜糸(ばっし)は痛くないので麻酔をする必要がありませんよね?」
っていうね。はい。
「抜糸は痛くないって一般教養でしたの?あら失礼〜おほほほほ!」と声高々に、髪を引きずり回すような答えを頂戴しました。
そんな答えをGoogle野郎から授かったものの。やっぱり不安です。そして、いざ診察。
簡易なベッドに身を預けなさいということで、ズボンをズラして、だらっーと。
女医がハリのある声を押しつけてくる「少し引っ張られる感じはあるかもしれません〜」って言われてる間に抜糸されてた。神回です。
あとはテープだけ貼っときなされ。と助言を頂き診察室を後にしました。やるじゃん!日本の医療…!と偉そうなことを胸で唱えながら、最後のフィナーレ。精算。
精算って言葉で良い思いをしたことがないので、できれば墓場まで逃げ切りたいスタンスなのですが。ここはやらねば無法者ですから。もちろん精算しました。
そしたら驚き。ギグの本谷さんがレコ発50会場ツアーするぐらい驚き。
会計220円也!!
抜糸220円也!!
もうほんと、頭の中でピカッ!とね、也の文字花火が打ち上がった。もうね、たーまやーって添えておいた。ありがと。
やるじゃん!日本の医療…!とか上から評価してすみません。
Googleもついでに野郎とか言ってごめん。(俺、謝ったからおまえも謝れ。)
そんな日でございました。
さてさて、これからスローバードに向かいます。大食いバトルというデブにはもってこいの企画に参加してきます!完膚なきまで胃袋をパンパンにしてやろうと企んでます!
では!
誰かといる時はとても心が休まるのか、気張らないと!って感じなのか、わかんないけど、まだ元気なので楽。お酒好きな人の気持ち少しわかってきたかも。勝手な解釈だけど、今だけは忘れたかったり、わかちあいたかったりしたいのかな。
共感は自己愛。最近見た良い気づき言葉。
醜い自分が存在する過去を受け入れれた場面が一つ二つとあって。まあ、そんな過去はさておいて、一緒に笑えたらいいよね!と行動してくれる人がいることに感謝。
感謝という言葉が平気な顔で転がってるので、全然有り難くない。いつも感謝を越える言葉を探しているが見当たらないし。やっぱ表現をする上で言葉だけでは足りない。(僕の実力不足です。)
足りないところは行動で、姿勢で。
今日はボイトレ→バンド練習→上海ブルドッグ→薬局勤め。がんばるわよ〜。
足の手術をしてきました。
「太もものつけ根あたりにシコりがあるな〜、なんだろうな〜」という#身体 #無関心 #数年放置 をこれまで貫いてきましたが。
悪魔の令和3年越えて令和4年。
今年の木村は行動力あるらしく病院に行き「即決〜!どうぞよろしく〜!」で手術を決めてきやがった。
その他、皮膚科に行き肌荒れ、歯医者の定期検診、市がやってくれてる健康診断などなど。もう健康に関する集中力があがっていると評価してもいい。ゾーンってやつです。
話は戻り今回、初めて身体にメスを入れましたが、麻酔ってすごいんですね。点滴の方が痛かった。
この麻酔の力を乱用されたら、寝てる間に犬や猫に命を作り替えられても気づかない気づけない。医療技術の進化に尊敬と感謝。
それでは朝も早くから大阪に行ってきます。
左人差し指を缶詰の蓋で切りつけた。
血が遠慮もせずにドバドバと滲み出た。
このあいだの我が家のシャワーホースの例だと、傷ができれば広がってどんどん酷くなる。防水テープなんて貼ってみても隙間に向かって水シャーシャーである。
ところが僕の指は少しずつ血を止めてみせた。今では肉がついて傷がついたことも、なかったことにしてみせようとしてる。
そんな指を見て、身体ってめっちゃ前向きやーん。やるやーん。ポジティブやーん。ってなった。人間ってそういうふうにできてんだなー。ありがとーです。指切ってごめんね。
あ、ちなみにポジティブというか、その身体のベクトルが自然なんだなということに、慈しみというか、恵みを感じました。
昔、バイト先の男前が「仕事行く前っすか?仕事行く前はですね…あああ、、ああぁぁ…熱いっ!シャワーをカッと浴びるっすね〜」
なんて男前に言ってたのを思い出して、それにならって熱いシャワーをシャーって肩に流したら、熱すぎて「あっつー!」ってなりました。
カッと浴びなくてよかったです。いつか男前になったらカッとしたいと思います。
ま、そこで気づいたんですが。
「あっつー!」ってなった時に身体が横にのけぞったんですね。平仮名でいうところの"く"みたくなったんです。
ずばり、反応だなって思いました。
んでね、こういう身体の反応もあるけど、日々の生活にて、心の反応もあるなって。ぬるくしたシャワーを浴びながら考えました。
ほんでね、心の反応は自分一人じゃ産み出せないことがほとんどだなって。くの字に身体をのけぞらせるみたく、心にも思いもよらない反応を与えてやっぜ〜。
やっぱり今日も街にでかけなきゃねー!
ウェーイ!
少し練習したらいってきまーす。
ライブ配信もあるから見てね!
バンドスタイルでやるわよ〜ん!
もっと君と会ってたらよかった。
誰かがいなくなった時、そうやって口に出してしまう時がある。けど、君と会ってなかった時間だって大切だったんじゃないのかなって思う。色んな大切があるけど、身体も心も一つだ。注げる時間に限りもある。
もしも過去を変えれるとして、
もっと君と会って笑えたとして。また他の大切な人がいなくなったら「もっと君と会ってたらよかった」なんて言うんじゃないかな?
そんなのズルいよなー。
昨日は弟が仲良くしてるマジシャンのショーに連れてってくれた。そのマジシャンがこう言ってた。
「今日この瞬間にたどり着くまで色んな選択があって、何一つ違ってもこの瞬間に辿り着けなかった。それって奇跡じゃないですか?」
実はこのしゃべくり僕も昔ライブで言ってたことがある。でも昨日、客観的に聞いて見て冒頭で話したことに近いものを感じた。
この瞬間に辿り着いたってことは、他の場所に辿り着けなかったってことでもあるなって。そして、どの場所に辿り着いても"奇跡"になるよなって。全てが奇跡になる。
それってすなわち奇跡じゃなくなるなって。平凡だなって。
みんな持ってるもの、毎日起こることは約分するべきだなって思う。
100歩譲って、すべては奇跡にしたとして。本当に稀な出来事に出くわした時、それになんて名付ければいい?
昨日はそんな過去の自分と見つめあえたし(マジシャンにイチャモンつけたいわけではないよ、ごめんね。)、最後はサプライズで弟から手紙をもらった。
少年院という塀の向こうからではなく、隣にいる弟から直接手渡された。嬉しいね。
兄弟で一緒にいると10代の頃にタイムスリップする。手紙はそっと母の仏壇の前に置いて、今日は家を出ました。行ってきます。